・<県政に対するご意見をください>   あて先は tokoiy@atlas.plala.or.jp
このコ?ナ?では、常井洋治が、「日々の活動」、「最新の県政情報」、「身近なできごと」や「新たな感動」などについて、皆様に発信します。
また、皆様から、県政に対するご意見やご提言をいただき、常井洋治がコメントさせていただきます。
そして、常井洋治と皆様の、双方向の「県政ほっとコ?ナ?」にしたいと考えています。

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茨城県議会議員 常井洋治『県政について語ろう』


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2012/04/28
■台湾からの大震災義捐金230億円ご存知でしたか。(N0.389)

(2012.4.28)
 東日本大震災に際して、台湾から義捐金として約230億円とペットボトル飲料水10数万本が日本に贈られていました。義捐金の額は巨額で、馬総統自らが直接国民に呼びかけた結果だそうです。飲料水は、液状化で困っていた本県の鹿行地域にも配られました。一般国民には、そういう事実が周知されず、国の一周年記念式典では、台湾政府を紹介もしない非礼があったことに国民の一人として憤慨しています。

 私どもいばらき自民党の県議団は、台湾政府に感謝の意を表するため、この度4月25日から28日まで訪問してきました。外交部(外務省)、経済部(通商産業省)の要人を訪ね、お礼と併せて本県の茨城空港と常陸那珂港のセールスをしました。茨城空港には、台湾からのチャーター便がありますが、定期運航を要請してきました。経済部では、日本と台湾のFTAの締結の必要性や、台湾企業が中国本土へ進出しているので、日本企業が台湾企業と提携して中国でリスクの低い事業展開をする方法などについて意見交換をして、とても勉強になりました。

 今回は、被災県の宮城県議会の議員団と殆どの行程を共にしました。国立故宮博物院は、2014年に東京で特別展を開催することになっていますが、その後に宮城、茨城両県とも地元での開催を要請しました。ここでは、ライバルのようになってしまいました。

 行政院原子能委員会は、原子力規制のための機関ですが、台湾でも建設中のものも含めて4つの原発があるため、これからも日本と協力して安全対策をしていきたいと話していました。

 私は、議員になってから初めての海外出張でしたが、石川多聞団長のネットワークのおかげもあって、とても有意義な調査ができました。県政にも、成果を活かしていきたいと思っています。

写真上:経済部の童處長(局長)と
  下;国立故宮博物院の周院長と

 

2012/04/16
■県議の顔が見えない(N0.388)

 (2012.4.16)
 第5回目の県議会改革検討会議が開催され、議員定数と選挙区についての参考人からの意見聴取を行いました。現在65人の定数、36選挙区ですが、東茨城郡南部選挙区と牛久市選挙区との一票の格差が3.09倍になっており、判例上違憲状態の3倍(国会と地方議会では判例が異なります。)を超えているため、その是正も含めて定数や選挙区の見直しをしようとするものです。2年前の選挙時に各会派ともローカルマニフェストに定数削減を掲げていた経緯もあるため、削減を前提にしています。

 参考人聴取は、前回の市町村長らの代表4人と今回の各種団体の代表8人から様々な意見が出されました。前回は、合併で市町村議員が半減しているのだから県議も削減すべきとの意見が圧倒的でしたが、今回は、必ずしも削減ありきではなく、県議がきちんとした活動をしていることが大事だというような意見がありました。

 2回にわたる意見聴取の中で、「県議の顔が見えない」、選挙の時には、戸別に顔を出すがその後は、何をしているのか分からないとの意見が数人から出されて大変気になりました。そんなに遠い存在になってしまっているのだろうか。あってもなくてもいいような存在だから削減しろという県民も本当に多いのだろうか。

 もちろん、県議としてきちんと仕事をしていることを前提にしながらも、県民のおかれている苦しい経済状況や、県財政の逼迫の状況にかんがみて議会が率先して身を切るべきだという意見は理解しておりますし、この会議での検討の趣旨もそこにあるわけですが、新たな課題も出てきたように思います。

 定数等の見直しと併せて、「県議の顔の見える化」についても、大いに議論をして改革していく必要があると私としても座長代理として真剣に取り組んでいくつもりです。また、私も一議員として、精いっぱいやっているつもりという気持ちを捨て去り、「常井が何をやっているかよくわかるよ」と多くの有権者から言われるように、自分にムチを振り一層働きぬいていきたいと考えています。


写真1;検討会議でお礼のあいさつ
  2;私の地元区の上押辺(かみおしのべ)区の第 28回運動会。昨年は大震災のため中止されたが、今年は子供たちも多く参加して行われた。私もタガ回しの障害物競走に出場しました。タガってわかりますか。自転車のタイヤをとった車輪を一本棒で転がす競技です。うまく転がせましたよ。(24.4.15)



 

2012/01/01
■平成24年(2012年)の新春を迎えて(NO.387)

 (2012.1.1)
 複雑な思いで迎えた新年です。東日本大震災で、未だに行方不明の方が多く、肉親の思いは如何ばかりかと思います。仮設住宅に入っている方々の寒さはどうでしょうか。東北地方に雪の降りしきる映像を見ると心が痛みます。若いころ、プレハブの住宅に住んだ私は、寒さ、結露、暑さ、屋根を打つ雨音のうるさいことがよみがえります。東電の原発事故の放射能から故郷を離れて生活をせざるを得ない方々の悔しさとやるせなさを察するとき、かける言葉も見つかりません。

 これこそ「不条理」というものです。こんな状況に国民を置いたままで、政争に明け暮れている日本の政治は、思いやりのかけらもなくスピード感が完璧に欠如しています。世界に冠たる科学技術の先進国日本と誇らしく思っていたのに、原子炉の制御を自力でできず、三流国、四流国に陥落してしまったことにも、私は大きなショックを受けました。政治と科学への信頼が崩れ落ちた実態をまざまざと見せつけられました。

 私は、県民や子供を放射性物質による健康被害から守るための健康調査の実施を叫び続けてきました。知事らは、一貫して「専門家の意見を聞いた結果、本県では必要ないという。だからやらない」姿勢です。一般女性を対象にした「危険度」の調査では、専門家の順位は一位が喫煙、二位が飲酒,三位が自動車、原子力は二十位ですが、市民は、原子力が一位だそうです。震災前の調査です。

原発事故で専門家の正しさに疑問符がつけられた今、専門家が「正しい」情報を伝えても、市民の主観的リスクを解消することはできないのです。私は、たとえ100人の専門家がそろって茨城県では県民の健康調査は必要ないといっても、やるべきだと考えています。人の心と科学は違うものなのですから、専門家の「科学」を押し付けてはならないのです。子供を持つお母さんたちの切実な訴えに門前払いをするのではなく、その意向に沿ってやるのが人間のための政治だと思っています。

 判断の基準に市民の感覚を大切にするのが政治家のあるべき姿でしょう。あまり難しく考えなくても、心配な人には健康調査をやって上げて、先ずは安心してもらい、結果的に何もなければそれでいいのです。なぜ、それをやらないのでしょうか。政治家としての橋本知事の再考を求めたいと思っています。

 私は、これからもこの問題を主張し続けます。保健福祉委員会に残留して、県立中央病院の産科再開も求め続けます。今年は、私も50代最後の年です。物事の本質をじっくりと見極めながら、自分の政治信念を磨きながら頑固なまでに主張の実現にまい進していきたいと考えています。そのためには、市民感覚を大事にして、自分の立ち位置をしっかりとしていくつもりです。

昨年から、生まれてくる子供の数より死ぬ人が20万人も多い人口減少国家になりました。大震災からの復旧・復興も急務ですし、東海第二原発の再稼働も重大な判断が迫っています。新たな大地震も予想されており、その対策に万全を期さねばなりません。厳しい経済・雇用情勢が続く中でどう「県民生活の安定」を図っていくか。TPPにどう対処していくか。県政の中でもやるべきことは山積しています。4期目になると県政の物事もわかり、物を言わなくなりがちですが、私はこれまで以上に言うべきことは言い、やるべきことはやる政治家であり続けたいと思っています。

 震災の日から、被災者を捨て去りにしているような日本という国家のありように我慢がならず、抗議する思いで断酒していますが、解禁はもう少し先になるようです。新年を迎えても、素直におめでとうと言う気分にはならないのですが、今年こそ平穏な年であってほしいと願っています。そして、被災者の方々が早く立ち直れることを切に願うばかりです。皆さんと一緒にがんばりましょう。

 

2011/10/28
■まるで夢のようです。 中央病院が地域臨床教育センターにより一段と充実(N0.386)

 (2011.10.28)
 県が筑波大学に寄付講座を設けたことにより、同附属病院が中央病院内に「地域臨床教育センター」を設置して、そこへ教授や准教授などの教員医師を派遣する仕組みができて1周年を記念する式典が開催されました。

 島居(しまずい)センター長はじめ9人の教員がこの1年間で派遣され、中央病院での診療にあたるとともに県北地域の中核病院に派遣されたりして、県内の医療水準の向上に寄与する体制が整いました。

 私は、10年以上前から、中央病院を中心にした地域を「日本のピッツバークにしたい」と唱えてきました。鉄鋼都市から高度医療都市へ変遷したアメリカの都市がモデルでした。
同病院で心臓手術ができるように心臓血管外科を開設したい、救命救急センターの看板を掲げたい、ヘリポートを設置して救急患者を受け入れたいなどと声高に主張してきたものです。

 当時は、夢物語としか思われず、私も挫折しかかったりしながらも間断なく主張を続けてきました。今日の式典で、勢ぞろいした9人の先生方を見て、その意気込みをききながら何と頼もしく思ったことでしょうか。私が夢見てきたことが現実になったことに戦慄感を覚えながらも、なんだか未だに夢を見ているような錯覚にとらわれました。

 産科の再開も「もうちょっと待ってほしい」と言ってくれる先生もいて、なんだか希望が見えてきました。これだけの体制ができたのも、永井病院長や、長く中央病院で診療を行ってきてくれた多くの医師が大きな背骨としてあったからだと、改めて思っています。県を挙げてのバックアップのたまものです。橋本知事はじめ関係者に感謝します。

 それらが一体となって、中央病院のさらなる充実につながってほしいと切に願っています。私も、これまで以上に理想の姿を求め続けていきたいと思います。
 せっかくですので、先生方の紹介をしておきます。島居徹センター部長・教授(泌尿器科)、沖明典副部長・教授(産婦人科)、大越靖准教授(血液内科)、後藤大輔准教授(膠原病リウマチアレルギー内科)、高橋昭光准教授(代謝内科)、武安紀之准教授(循環器内科)
、星拓男准教授(麻酔科)、鈴木久史講師(呼吸器外科)、徳永千穂講師(循環器外科)の先生方です。

写真上:あいさつする永井中央病院長
  下;勢ぞろいして紹介された先生方(あいさつする島居センター長)

 

2011/10/24
■県立こころの医療センターは、名実ともに様変わりしました。(N0.385)

(2011,10.24)

精神科の旧友部病院は、全面改築して10月1日から表記の名称に改称してオープンしました。開院の記念式典では、私もひととおり施設を見たのですが、引っ越してから初めて入ってびっくりしました。

お昼時に玄関に入るなり、明るく吹き抜けになっている受付のフロアは食事をとる人がいて、ガラス越しに坪庭でお弁当を広げていたり、まるでどこかのレストランの様相です。旧病院に初当選して初めて出向いた時には、薄暗く異様な受付や待合室を見て、これでは親に連れられてくる子供の患者は、かえって具合が悪くなってしまうのではないかと思ったものでした。

そういうことがあって、私は、いったん取りやめになっていた改築を主張し続けてきました。その間、児童思春期病棟「つくし」が立ち上げられ、30数人の子供たちの療養環境が改善されました。

様変わりした新センターで土井院長とこれからの病院のあり方について意見交換しながら、県政のテーマに掲げてきてそれが実現できて本当に良かったと思っています。院長の話にこれからの病院のあり方にも大いに期待できました。改めて橋本知事の改築への英断と、関係者の努力に感謝した次第です。

土井院長から、その「レストラン」で380円のカレーうどんがいち押しだと薦められました。ぜひ、後日に訪れてみたいと思っています。皆さんも、いかがですか。

写真;土井院長、加藤事務局長と歓談

 

2011/09/10
■笠間市内中学校体育祭で各校生徒が元気いっぱいの競技を披露(N0.384)

      (2011.9.10)
笠間市には7つの中学校がありますが、同日に一斉に体育祭を開催しました。生徒数が、60人台から600人台まで規模は違いますが、各校ともテーマを決めて持ち味を出していました。若い生徒たちの躍動感あふれる競技を見ていると、誰しもが元気をもらえる気になります。

このパワーで東日本大震災を乗り越えるためにも、私たち大人がこの子供たちの道筋をしっかりと作る責務があることも再認識しました。私は、短い時間ですが、7校すべてを回りました。各校とも急速な少子化のために生徒数が少なくなっていることを実感しました。しかしながら、小規模校でも、きちんとした競技が行われ、気迫がこもった姿に感銘を受けました。

そういう中で、偶然にも立派な保護者となって30年ぶりにお会いできた方がいたり、選挙で応援したよなどと言ってくれる人がいたり、私にとってもこれからの励みにもなるとても充実した日になりました。

(写真は、全校分載せたかったのですが、私の技術不足のため3校しか見てもらえず、申し訳ありません。)
写真上:東中
  中:友部中
  下:岩間中

 

2011/09/01
■友部リトルシニアが全国大会で初栄冠。橋本知事に報告(N0.383)

   (2011.9.1)
 友部リトルシニアは、県内各地からの50名の選手が集まる硬式中学野球チームで、笠間市にある県畜産試験場跡地をホームグランドとして練習や試合をしています。監督は、笠間高出身で元巨人軍投手の原田明弘さんです。会長は塩田義清さんです。

 8月15〜17日に宮崎市で行われた第1回「東アジアリトルシニア野球宮崎大会2011」で優勝を飾り、同跡地の使用のお礼もかねて橋本知事に報告しました。関東代表として出場した大会ですが、全国の代表22チームと台湾、韓国の代表チームが出場するという中を勝ち抜きました。しかも、決勝トーナメント4試合はいずれも逆転勝ちという底力を見せつけました。

 130mものホームランを打った選手もおり、いずれも3年生は高校野球を目指しており、ここ数年の甲子園での本県勢の活躍に物足りなさを感じている橋本知事からも、どこの高校に行きたいのかとか、投手のスピードはどのくらい出るのかとか、県外に行かず本県の高校での活躍を期待されていました。

 創部7年目での快挙は見事です。塩田会長はじめ役員や父兄の熱心さと原田監督と選手たちとのしっかりとした絆が相まっての結果だと思います。知事には、私から、野球を特色とした県立高校を作ってこういう選手を入れていけば茨城の野球レベルも上がるのではないかと提案したりしてみましたが、さしたる反応はありませんでした。

 

2011/08/29
■いばらき自民党政務調査会の文教治安部会で、意見交換をしました。(N0.382)

(2011.8.29)
 自民党県連の友好団体である県体育協会、県私学協会、県学校給食会、県教育会、県文化財保護委員会、県私立幼稚園連合会、県退職校長会、県学校長会、県専修学校各種学校連合会を招いて、政調会の文教治安部会を開催しました。政権が変わっても、県議会の約7割を占める自民党との絆は太く続いています。

 毎年各団体からの県政等に対する要望を聴いて、次年度の県予算編成に対する党要望として、知事らに提案しています。東日本大震災についての会合を臨時的に4月に開催し、緊急要望として提出しましたが、今回は、それらの事項を含めて各種の要望が出されました。そして、出席議員7名と活発な意見交換を行いました。議員にとっても団体の抱える問題がよく分かる良い機会になりました

 私は、部会長として、それらを取りまとめて、少しでも多く実現するように働いていくつもりです。

 

2011/05/01
■笠間の陶炎祭(ひまつり)に続け。自粛の解禁をしよう。―がんばろう日本、いばらき、かさま(6)(N0.381)

(2011.5.1)
 笠間のひまつりは、今年も例年どおり開催されています。笠間焼も、今回の震災で打撃を受けました。窯や陶器の損壊の片づけで気が萎えるほどの状況の中でも、笠間焼協同組合の川野輪理事長さんたちは、4月20日から5月5日までの期間で30回目の開催を敢然と決めました。

 このひまつりは、30万人を超える集客を誇る本県の代表的なイベントです。初日は、例年より出足が良く、大勢の県内外からのお客さんでにぎわいました。震災後の自粛ムードの中で、楽しみにしていてくれたのでしょう。私が早めに会場に行った8時過ぎには、もう千葉や東京からの方が、商品陳列の準備段階からテントを覗いていました。

 これまで、被災地ばかりでなく日本国中が何となく気が晴れない中で、被災者への気遣いもあって、いろんな催しやイベントの開催を自粛してきました。しかし、四十九日も過ぎたことを踏まえて、自粛を解禁すべき時と考えています。この沈滞ムードのままでは、日本の経済が成り立ちません。本県も雇用状況が益々悪化することが懸念されます。自粛解禁の声は、被災地からも発せられていました。

 私も、今回の地震では、「生き残った者の一人」と真から思っていますので、大いに明るく前向きに元気な社会を皆さんと築くために、微力ですが、旗振りをしていきたいと考えています。

  今回のひまつりには、福島県の大堀相馬焼の皆さんにも声をかけて出店しています。浪江町の窯元は大きな被災を受けました。ひとテントだけ出店している伝統工芸士会長の長橋明孝さんは、いま福島第一原発事故の警戒区域のため埼玉県に避難しているそうです。東京での販売用にトラックに梱包しておいて助かった作品を販売していました。私も、福島の皆さんが早く帰宅できて焼き物作りができるように祈る思いで、馬の絵が入った急須や湯飲みを買ってきました。

 また、セレモニーに出席した橋本知事に、焼き物のまち笠間のシンボルであった国道355沿いにあった笠間焼の大きな花瓶も地震で完全に損壊してしまったので、その復元に力を貸して頂きたいとお願いしました。

 会場には、風評被害を吹き飛ばせと、茨城産の農産物や海産物を販売するコーナーもあります。我がいばらき自民党青年局の県議会議員たちも売り子でがんばっています。皆さんも、ぜひ足をお運び頂きますようお願いいたします。

写真上:セレモニーでのあいさつ。原発事故も含めて    震災が継続中であるとの思いから、防災服で    出席。
  中:千客万来でにぎわう会場
  下:相馬焼きの長橋さんと

 

2011/04/15
■地震、津波、原子力が3重に県民生活を直撃。被災状況を調査―がんばろう日本、いばらき、かさま!(5)(N0.380)

(2011.4.15)
 私たちいばらき自民党(県議会自民党の議員会派名)は、震災後しばらく、現地調査を被災者に迷惑をかけることからしばらく控えてきましたが、3月29日からグループ別に関係箇所を視察しました。

私の調査箇所の概要は次のとおりです。
【大洗港近辺】
 4mの津波が防波堤を乗り越えて、大洗港や、フェリーの岸壁、マリーナなどの施設や船舶に被害を及ぼしました。岸壁は、50cmから1m程地盤沈下しました。大洗アウトレットも水をかぶったり、盗難の被害を受けたりしていました。津波は、道路を大洗駅辺りまで押し寄せたようです。傾いている家も目立ちました。漁師さんたちは、「早く漁に出られるようにして欲しい」と述べていました。港湾関連施設の早期復旧が望まれます。

【涸沼の堤防】
 涸沼の堤防は各所に大きな亀裂が入ったり、堤防のコンクリートのり面が陥没したり被害は甚大でした。堤防が決壊すれば、近くの集落や田畑に被害を及ぼすおそれがありますので、緊急の対応が必要です。梅雨の頃までにとにかく漏水を止める措置が求められます。

【県立中央病院】
 このシリーズ(2)に記述したとおりです。

【花き農家】
 笠間市の友部地区は、花き農家が多いのですが、長時間の停電で温室の花が全滅に近い状況でした。ガーベラやアルストロメリアなどを栽培する農家は、自家発電装置を用意していないため大打撃を受けました。あまり表には出てこない、地震による被害でした。

【酪農家】
 福島第一原発の事故による放射性物質が生乳から検出され、出荷制限が続き酪農家は大変でした。生乳は毎日絞らなければならないし、それを自分の土地に廃棄していますが、廃棄する場所もなくなってきていました。現金収入がない中で、一頭で月2万円のえさ代が重くのしかかっていました。BSEの時に続いて、酪農家にとって大きな災難です。

【笠間稲荷神社前】
 稲荷神社の鳥居も倒壊したり被害は甚大でした。商店街は、古い建物が多いこともあり、損壊家屋が目立ちました。いつも観光客が多い通りには、人影が見受けられない状況でした、笠間市は、県内5番目の観光客数を誇る観光地ですが、早期に復興し、にぎわいを取り戻せるように支援措置が必要です。

【笠間焼き窯元】
 調査した比佐陶園、ふくだ陶園とも、笠間焼きのシンボルでもある登り窯が崩壊してしまいました。陶器商品などの損壊もありました。笠間焼協同組合の川野輪理事長は、「こういうときだから、毎年やっている陶炎際(ひまつり)を実施する。できれば、被災地の相馬焼きの皆さんにも声をかけて、一緒にやることを検討したい」と述べていました。本県の地場産業であり、観光資源としての笠間焼きの振興に支援措置を望みたい。
以上
 さて、福島第一原発事故の影響による本県農産物に対する風評被害が大きく、農家は大打撃です。出荷制限が出されていたほうれん草、パセリ以外の本県野菜は、安全性に何の問題もないにも拘わらず、市場でもほとんど値が付かない状況が続きました。JCO臨界事故の再来のようで極めて深刻です。私も、県産野菜の販売イベントに参加したりして売り込みに一役買いたいと活動しています。

 また、農家にとっては、米の作付け準備時期に入って、「米を作って良いのか」「作って売れるのか」「売れないときの補償はどうなるのか」戸惑いがあります。県は、もっとはっきりと、方針を示すべきだと思っています。私にとっても一番気がかりなことです。

写真1:津波被害のがれきでいっぱいの大洗サンビーチ
  2:停電でお彼岸用に出荷間際のアルストロメリアが全滅
  3:JA茨城中央(川上好孝組合長)が常磐線不通の友部駅前で催した元気市には、義援金をもってきてくれる方も

 

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